世紀の対決・メジロマックイーン
絶対の強さは、時に人を退屈させるーー
「葦毛の馬は走らない」
競馬ファンの間ではよくそう言われる。
だが、果たしてそうだろうか?
葦毛の名馬は、名馬の枠を超えて半ば伝説とされる馬が多い。
笠松の英雄・オグリキャップが代表格だが、他にもタマモクロス、ウィナーズサークル、クロフネ。近年ではゴールドシップ、スノードラゴン、エイシンヒカリなど、いつの競馬界にもファンをあっと沸かせる葦毛の馬がいる。
そして、今日取り上げるメジロマックイーンもそんな葦毛の名馬だ。
(ウマ娘ではお嬢様)
メジロマックイーンは、父メジロティターン、母メジロオーロラという血統。冠名は当時の競馬界を牽引する存在であったメジロ牧場の「メジロ」。マックイーンは、映画『大脱走』などで有名な俳優スティーブ・マックイーンから。
マックイーンと同世代には、後に宝塚記念を制覇するメジロライアン、メジロパーマーがおり「メジロ87年組」とも言われる。
他の2頭とは違い、メジロマックイーンのデビューは遅かった。
幼い頃は病弱で、怪我や病気に泣き、新馬戦は4歳になってからだった。
危なげの無い勝利を挙げ、このまま順調にクラシックを目指していくと思われたが、惜敗が続き、雲行きがあやしくなる。
ダービーをあきらめ、ターゲットを秋の菊花賞に据えたマックイーン。だが、ここで初めて大きな壁が立ちはだかる。それは先にクラシック戦線を戦ってきた同牧場のメジロライアンだった。
皐月賞、ダービーともに好走したメジロライアンは1番人気に推されたが、マックイーンは、4番人気。当然といえば当然の評価だった。
だが、ここでマックイーンは、その素質を開花させる。
「メジロでもマックイーンの方だ」
京都の重馬場も、ライバルの存在も関係なかった。直線で抜け出すと並ばせることなく先頭でゴール。初のGⅠで圧巻の走りを見せた。
メジロにはマックイーンもいる。そうファンに思わせた瞬間だった。
休養を挟み、陣営が次に目標にしたのが天皇賞だった。
ここには陣営の特別な思いがあった。
メジロマックイーンの父メジロティターンは1982年の天皇賞を、そして、そのメジロティターンの父メジロアサマは1970年に葦毛の馬で初の天皇賞を制した。
父子の天皇賞制覇……。そして、三代制覇へ王手がかかった一戦だったのだ。
(ちなみにメジロライアンの父アンバーシャダイも天皇賞馬である)
前哨戦の阪神大賞典をレコード勝ちし磨きのかかった強さを見せたマックイーンは、主戦であった内田浩一から、鞍上に若き天才・武豊を据えて天皇賞へ駒を進める。
メジロライアン、ホワイトストーンと菊花賞で上位争いをしたライバルを抑えて、今度はマックイーンが1番人気に推された。
皐月賞の再現のように直線を楽な手ごたえで抜け出すと、2着馬のミスターアダムスに2馬身差以上つけて快勝。
陣営の宿願であった父子三代制覇を達成したのだ。
距離も、馬場も、彼を阻むものはなかった。
春の天皇盾を手にした先に陣営が見たのは、天皇賞の春秋連覇だった。
初夏の宝塚記念こそメジロライアンに敗れはしたものの、ファンも、マックイーンならタマモクロス以来の偉業を成し遂げると考えていた。
そしてそれにマックイーンは応えた。1位でゴール盤を通過した。夢は叶ったはずだった……。
六馬身差の圧勝で千両役者を演じたマックイーンだった。
だが、悪夢の降着。連覇は幻になってしまった。(なお、GI競走での1位入線馬の降着処分は日本競馬史上初)
そのせいではないだろうが、暮れの有馬記念でもとんでもないことが起きてしまう。
競馬の難しさを物語るジャイアントキリング。
1番人気のマックイーンは、内から猛烈な手応えで伸びた14番人気の(これはビックリ)ダイユウサクに抜き去られ、負けてしまう。グランプリならではの大番狂わせにファンは騒然となったのは言うまでもない。
だが、マックイーンはここで終わる馬ではない。
陣営は次に天皇賞春の連覇に照準を絞ると、昨年と同じローテーションで本番へ進む。
今度の天皇賞春にメジロライアンの姿は無かった。しかし、それ以上に巨大な存在がそこにはいた。
皇帝シンボリルドルフの子、破竹の七連勝馬・トウカイテイオーだ。
2頭の激突は当時の競馬界を熱狂させ「世紀の対決」と評された。
結果的にはマックイーンの快勝。
トウカイテイオーは5着に沈んだ(のちに骨折していたことが判明する)。
もし万全の状態での勝負だったら……そんなたらればを考えてしまうが、女神はマックイーンの方に微笑んだ。
これで史上初の天皇賞春連覇を達成したマックイーンは、名実ともに名馬の仲間入りを果たしたのだった。(武豊は同一GⅠ4連覇を達成)
その後、天皇賞春を連覇したのはテイエムオペラオー、フェノーメノ、キタサンブラックの3頭だけである。
連覇、そして次に待つのは前人未到の天皇賞3連覇。父、祖父の成しえなかった伝説を刻むために、マックイーンは翌年のレースへ臨む。
だが、またしても刺客が待ち構えていた。
無敗のダービー馬・ミホノブルボンの三冠を阻んだ菊花賞馬のライスシャワーだ。
ヒールか、ヒーローか。悪夢か、奇跡か。
ヒットマン的場均の駆るライスシャワーに徹底的にマークされたマックイーンは、直線でかわされると競り合うことなく敗着。
あえなく3連覇の夢は打ち砕かれたーーー。
その後、一昨年の、そして天皇賞春の悔恨を超えるかのようにマックイーンは宝塚記念を制覇。秋初戦の京都大賞典では、コースレコードで、レガシーワールドに3馬身半差をつけ優勝。しかし、天皇賞秋の4日前に左前脚部繋靱帯炎を発症、そのまま引退を余儀なくされた。
夢は次代へ。血統の繋ぐ道が彼の夢を紡いでいく。
だが、メジロの血は、メジロ牧場の撤退により、今や消える運命になってしまった。
伝説は終わるのか……。
しかし、競馬の血統のドラマは時を超える。
2015年、祖父にメジロマックイーンを持つ葦毛の怪物が、天皇賞春を制覇したのだ。
祖父のバトンをゴールドシップが繋いだ。
そして、彼のバトンをその子どもたちが繋げていくだろう。
メジロの血は、まだ絶えていないーー。
今度はどんなドラマが生まれるのか。2020年の天皇賞春はもうすぐだ。