故国に勇気を・ヴィクトワールピサ
数多の日本競走馬が挑み、世界の大きな壁に敗れてきたレースがある。
フランスの凱旋門賞は、未だ制覇した日本馬はいない。
そして、世界一の賞金を誇るレースであるドバイワールドカップも長らくそのレースの一つであった。
今回紹介するヴィクトワールピサは、そのドバイワールドカップを日本競走馬で初めて制覇した馬である。
彼が競馬界で打ち立てた金字塔は、当時、困難な状況にあった日本に確かな希望を与えた。
ヴィクトワールピサは、父ネオユニヴァース、母ホワイトウォーターアフェア、母父Machiavellianという血統。馬名はフランス語で「勝利の山」を意味する。
2009年10月の京都で鞍上を武豊として競走馬デビューした。レースは1番人気に支持されるが、後に朝日杯FSを制するローズキングダムに競り負け2着に敗れる。
その後の未勝利戦を快勝し、続く京都2歳ステークス(現在はGⅢクラスに昇格)、さらにはラジオNIKKEI杯2歳ステークス(現在のGⅠ)も人気に応えて勝利を掴む。
2歳シーズンは上々の滑り出しであった。
三ヶ月の休養を挟んで、クラシックを見据えた陣営は、次走を弥生賞に決める。
内から伸びたエイシンアポロンを後方から鋭い脚で捕まえて首差で勝利。
操縦性の良さをこの時から感じさせる走りであった。
皐月賞の切符を手にしたヴィクトワールピサだったが、その直前に主戦の武豊が落馬負傷するアクシデントに見舞われる。代打を託されたのは岩田康誠であった。
このレースでは、後のダービー馬であるエイシンフラッシュや、前年に土を付けられたローズキングダムなどが出走していたが、4連勝で勢いに乗るヴィクトワールピサは1番人気に推された。
終始内を進んだヴィクトワールピサは、最後の直線で進路を迷わず最内に切り替えると、一気の伸び脚で後続を寄せ付けずに快勝した。岩田康誠の判断も冴えた堂々たる走りであった。
この皐月賞は父ネオユニヴァースとの父子制覇となった。(ちなみに2009年のアンライバルドから2年連続父子制覇である)
陣営はこの勝利で凱旋門賞への期待を膨らませるものの、次走の日本ダービーではエイシンフラッシュに敗着してしまう。だが、そのまま凱旋門賞へ臨むことを決めると、再び鞍上を武豊に変えてロンシャンの地へ向かう。
結果は見せ場を作ることなく7着。勝ち馬のWorkforceから8馬身差と、世界の強豪との間に確かな差を感じるレースとなってしまった。
(このレースは、ナカヤマフェスタがエルコンドルパサー以来の2着となりそっちに話題を完全にもっていかれた)
帰国後の初戦はジャパンカップを選択。だが主戦の武豊がローズキングダムに騎乗することが決まっていたため、またしも鞍上を変えることになる。結局紆余曲折を経てマキシム・ギュイヨンに手綱を任せることとなった。
直線をローズキングダムと競るものの、クリストフ・スミヨンの駆るブエナビスタにかわされ敗着。(このレースは審議となりブエナビスタは降着、ローズキングダムの優勝となった)
確かな素質を持ちながらも同世代の馬に惜敗する嫌な流れを断てないままであったが、暮れの中山・有馬記念で転機が訪れる。
鞍上をミルコ・デムーロに据えて挑むグランプリ。
女王ブエナビスタに1番人気こそ譲ったが、ヴィクトワールピサは2番人気に推された。
直線を早めに抜けだすと、外から猛烈な勢いで追い込んできたブエナビスタとの接戦を首差で勝利する。これにはミルコ・デムーロも歓喜の涙だった。
ヴィクトワールピサにとっても苦しいシーズンの最後に鬱憤を晴らすことができたはずである。なお、この勝利でローズキングダムとの評価差が好転したため、ヴィクトワールピサはJRA賞最優秀3歳牡馬に選出された。
彼の運命はここでまさに逆転したと言える。
2011年になるとブエナビスタ、同年フェブラリーステークスを制覇したトランセンドとともにヴィクトワールピサはドバイワールドカップに招待されるのだった。
前哨戦の中山記念を最後は流す余裕すら見せ快勝。まさに視界良好。
だが、それまで芝路線を歩んできたヴィクトワールピサはドバイの地で初めてダート競争。未知数の勝負であった。
この年、競走馬たちがドバイへ飛んだ後、日本は未曾有の大災害に襲われるーー。
誰もが不安であった。筆者もよく覚えている。詳述はしないが、誰もが希望を求めていた。そんな中、ドバイワールドカップは幕を開く。
奇しくもこの日、3月26日はドバイの地で星になった名馬ホクトベガの命日でもあった。
どうぞノーカットでご覧いただきたい。
初ダートであったためかスタートを決めれずにヴィクトワールピサは最後方からの競馬になるが、3コーナー手前で一気に捲り上げると、1番手にいたトランセンドに迫る。直線で末脚を炸裂させると、後続の追撃を振り払い、トランセンドと連れ立って1.2フィニッシュ。
ドバイワールドカップ制覇は日本競馬界で初の偉業であった。世界の強豪を抑え、凱旋門賞での雪辱を果たした。
夢を追い、夢を叶えたーー。
ヴィクトワールピサが、日本に確かな希望を与えた瞬間だった。
勝利インタビューの途中でミルコ・デムーロが馬上で涙を見せるシーンも胸を打つ。
陣営はこの勝利で再度の凱旋門賞を目指したが、怪我に泣き、断念。
帰国後の成績も振るわず、ヴィクトワールピサは2011年の有馬記念をラストランとして引退、種牡馬入りとなった。
名馬の血は次代へ。
次の夢を叶えるためにーー